自担が人生観を変えてくれたお話。
眠れないので、深夜テンションで意味わからないお話をします。
私は昔から常に自分の行動に意義を求めてしまう性格だ。すべての選択の基準には未来の自分のためになるか、というものがあった。
(この時点でこいつは何を言ってるんだ、というタイプの人が特にヲタクには多いと思う。)
なんというか、将来、自分の今を後悔するようなことがあるのが許せない真面目完璧主義。
間違った意味のない選択は、したくない。
たぶん私は性格上、めちゃめちゃジャニヲタに不向きだ。
ジャニヲタであることは、自分の将来のためになるのか。
答えはおそらくというかほぼノーだろう。どちらかというと、自担の将来に貢献しているのだから。時間と金を存分に使い、自担の今を追い、幸せをもらう。そしてまた時間と金を消費する。
そして、自担の未来が保障されてる訳でもない。
高校生でもある私は、青春をジャニヲタとして過ごすことがどうしても引っかかっていた。周りの友達は、流行りのスノーで自撮りをかまし、週末にはショッピングへ行き、Twitterやインスタは青春で埋め尽くされている。
それに対し、私はテキトーに学校へ行き、終わったと思えばさっさと下駄箱へ向かい、帰っては自担を拝む日々である。そしてまた残念なことに私は高校生に多いキャピ系ゆるふわヲタクではない。お友達さん探し〜〜✳︎なんて可愛いことができない。学校ではなるべくヲタクを隠し、地味な格好でコンサートへ行き、ひたすら静かに自担を観察し、Twitterにぽちぽちとイタイ感想ポエムを流す。
00lineなんてbio欄には到底書けそうにない00lineである。なんとも中途半端で残念なヲタク。
自分はJKでありながら何をしているんだと思う。勉強に励んだり、何かをがんばったり、いっぱい遊んだり、高校生の間しかできない、高校生の間にやるべきことはいくらでもある。自担に貢ぐお金がなければもっと自分のために使える。
そんなん趣味とプライベートどっちも頑張ればいいじゃんって思うかもしれない。
でも、私にはそれができない。
どちらかを捨てないと、どうしても中途半端になってしまいそうで、自担のことが大好きなのに、昔っからの性格上、どうしても自分の在り方を許せなかった。
もやもやを抱えながらジャニヲタをだらだらと続ける日々が続いた。
だが、この夏コンサートへ行って今までの愚かな葛藤からやっと抜け出せた。
久しぶりの自担を見た時、ああ、ジャニヲタ辞めないでよかったって思った。
意味わからないくらい幸せだった。
自担に発狂し、涙する自分がすごい輝いていると我ながら思った。
早口で親に興奮を語る気持ち悪い自分、最高かよって思った。
今が楽しけりゃそれでいいじゃん。って生まれて初めて思えた。
ジャニヲタであることが、人生に大きな意義をもたらすかといえば、それはよく分からない。
ただ、この私のお堅い人生観を変えてくれたのは確かな事実である。
自担が大好きである以上、ジャニヲタである今が最高にハッピーである以上、ジャニヲタであり続けるということが自分にとって一番の選択であると今なら思える。
ヲタクであることは、立派な人生を彩る功績にはなれないが、「幸せに生きる」ためには人生においてとっておきの手段なのだと思う。
愛をぶつける対象が遠い存在だからこそ、ヲタクって幸せなのかもしれない。好きなだけ好きになることができて、好きなだけ感傷に浸ることができて、勝手に萌えて、勝手に幸せになれる。
「ヲタク」の値も、「好き」の値も、誰とも比べることなんてできない。
楽しいと思った今を全力で追い続けたい。私の大好きな人には、無限の夢が詰まっている。
自担は、「ヲタク」って響きが嫌いらしい。
だが、私は胸を張って君の「ヲタク」でいたい。
いつだって君のことだけを考えてぐへぐへしてしまう「ヲタク」でいたい。
自分でも言っていることが意味不明なのはよく分かっている。ただ、自担のおかげで今が最高にハッピーで最高に楽しい。
お堅い人生観を取っ払われた今、今まで以上にジャニヲタでいたいと思う。
そして、もっともっと幸せになってやろうと思う。