大好きなひとについて
1ヶ月と少し前、大好きなひとがお休みに入ることになりました。
発表されたのは、その大好きな彼に背中を押された私の夢が、やっと叶ってから、すぐのことでした。
夢を叶えるために大好きな彼のことを我慢していたから、ああこれからはやっとたくさん会えると思った矢先のことでした。
今日、リペDVDを見ました。
そしたら、3日経っても、1ヶ月経っても、答えの出せなかったものが、ちょっとだけすっきりしたような気がします。
私の大好きな人は、7年間どんなときも変わらず私の見える場所にいてくれたんだなあと、すごくあたりまえのことを何回も何回も思いました。
私がいじけていたときも、現実の大好きなひとにうつつを抜かしていたときも、夢を叶えるために少し離れてもがいていたときも、
変わらず同じ場所で笑っていて、
辛くなって駆け寄ればそこにいて、声を聴かせてくれていた。
大好きだと言うくせに、自分はどこまでも自分中心だったと、思います。
そんな勝手なファンのためにも、いつでも笑ってそこにいてくれた彼のために、今私ができることは、大好きなひとが大好きだった場所で、今度は私が笑って待つことなのかもしれません。
正解は分からないし、どんな待ち方も正解だけど、
そうすれば、彼が灯し続けていた光が、消えちゃわないような気がするからです。
寂しいし、寂しいし、寂しいけど、
今に慣れるわけなんてないけど、
そうしてゆっくりゆっくり待ちたいのです。
おひさまが隠れてしまったくもりの日、
青空の日の写真のフィルムを眺めながら、私はそんな答えを出しました。
梅雨があけたら、青い空の下でまた会おうね。
大好きなひとの先に、どうかあの日の青空が続いていますように。
春を迎える聡ちゃんに
松島聡くん、20歳のお誕生日おめでとうございます!
聡ちゃんがハタチって信じられない感じがするけど、振り返ってみるとそういえばもうハタチになってもおかしくないくらい長い道のりを歩いてきてたね。
聡ちゃんと初めて出会った時、無邪気で人間らしくてがむしゃらだった聡ちゃんは私よりずっとお兄さんなはずなのに友達みたいだと思った。だから余計に好きになった。
だけど気づいたら聡ちゃんは私の届かないところで一人で戦っていた。
聡ちゃんは、いつおとなになったんだろう。
今年の夏、サマパラに入った私は訳のわからないくらい泣いた。
これは自己啓発セミナーなのかってくらいに、私はその時間中聡ちゃんを拝むのと同じくらい自分のことについて考えていた。今までのこと、今のこと、これからのこと、いろんなことを考えた。振り返ってもいいことってあんまりなかったけど、あと少し、自分を肯定してあげようと思えた。
こんな素敵なライブ、この人にしか届けられないものだと思った。
アイドルの聡ちゃんは、あたりまえだけど、苦しみを本当にたくさん知っているんだなあと思った。だけど、ステージの上で子供みたいに笑う聡ちゃんはそんなこと何も知らないみたいに澄んだ綺麗な瞳と大きな口で笑っていて、どっちの聡ちゃんが本物なのか頭がこんがらがったけど、全部本物の聡ちゃんなんだなあと気づいてとハッとした。
うまく言えないけど、この人についていけば私は大切な何かを見失わずに歩けていけるようなそんな予感がした。
きっと人生なんて思ったより期待外れで、うまくいくことの方が少ないんだろうなと思う。その度に後悔ばかりして、誰かを妬んで、夢を持ち続けることが苦しい瞬間の連続なんだと思う。
おとなになったら、なおさら。
だけど私は聡ちゃんがいてくれる限り、夢を忘れないおとなになれる気がする。
聡ちゃんは私の憧れだ。
おとなはこどもにはもう戻れないとよく言うけれど、聡ちゃんはきっと「おとな」も「こども」もどっちにもなれる人なんだろうと思う。どんな逆境に振り回されて辛さを知っていても、いつも変わらず誰かに優しくしたり、誰かを信じたり、悲しい涙は見せなかったり、底抜けに明るかったり、年上のお兄さんに甘えたりできるのって、本当に素敵なことだと思うんだ。
今の私のいちばんのお手本は聡ちゃん、君です。
いっぱい幸せをくれてありがとう!
大事なことに気づかせてくれてありがとう!
あと、私今まで失敗と後悔の積み重ねばっかりだけど、聡ちゃんに出会ったことだけは人生成功したと思ってる。
自信をくれてありがとう!
アイドル人生、まだまだいろんなことあると思うけど、聡ちゃんらしさを忘れずにね。
改めて、20歳のお誕生日おめでとうございます。
たっぷり栄養を蓄えた聡ちゃんのつぼみが、素敵な春を迎えますように。
大きくなったテノヒラで。
今更ながらSTAGEで思ったことをちょこっとだけ。
5月3日、STAGEに行ってきました。
たった3時間。されど3時間。
公演が終わった後、一番初めにふと口から漏れた言葉は楽しかったでも寂しいでもなく、「よし、明日からも頑張ろ!」でした。
ずっとたのしみにしていた日が終わってしまうのは寂しかったけど、それ以上に明日から頑張ろう!って気持ちがこんなに強かったのはたぶん初めてだったような気がします。
今回のSTAGE、演出もセトリも会場の空気もメンバーの覚悟も全部大好きだけど、特に、「がんばれ」って、形には見えないけど、そっと確かに明日へ背中を押してくれるようなあの空気が本当に大好きで。
今までのライブとはどこか違う温かさと力強さがあった。
もしも君が負けそうなとき
迷わず僕に 聞かせてよ 一人じゃないよ
心には 距離なんてない
Congraturations がんばれ
Congraturations 幸あれ
最後のコングラ、気づいたら歌いながら号泣してました。
5人の5年間を振り返っていたら、なんだかその時々の自分の姿も一緒に思い出されてきて。
まだ5人に出会った頃、ランドセルを背負っていた頃から今日までが、なぜかばあっと頭に蘇ってきて。
最近悲しいこととか泣きたくなることが続いていて頑張って明日を過ごすことになんの意味も見出せなかったんですけど、今回のライブに入って、自分の明日に少しだけ頑張る意味を見つけられたような気がしたんですよね。
なんで5人じゃなくて自分に向けて泣いてんだよって自分でも思ったんですけど。笑
自分でもよく分からないけど、幸せと、安心と、少しだけ見えた明日の光に涙が止まらなかった。
強い味方ができたみたいで、後ろから誰かが大丈夫だよって抱きしめてくれてるみたいで、ぽろぽろ泣いてしまった。
アイドルが自分の中でとっても大きい存在であることは自覚していたんですけど、こんなこと今まであったかなあって振り返ってみると、そういえば私はいつも彼らを「応援する」感覚で、彼らに「応援される」感覚ってあんまり意識したことがなかったよなあと。
死ぬほど幸せをたくさん貰っているけど、周りにヲタク公表してなかったこともあってアイドルと普段の生活が繋がることって実はあんまりなかった。
「好き」な気持ちが日々の原動力とリンクすることって案外なくて、どちらかと言えばずっと現実を見ないで「好き」な世界だけを見ていたい、というか。
夢の世界で「幸せにしてもらう」ことと、現実で「背中を押してもらう」ことって私の中では全然違かった。
それはきっと、アイドルって私の生活なんてものとは程遠い世界のものだって思っていたから。
アイドルって、辛い現実から逃げる場所だと思っていたから。
近くに感じるだけ辛くなると思っていたから。
今思うと、そんな風に距離を作り始めてしまったのも大好きなアイドルという存在がきっかけだったのかもしれない。
格差があったとき、まだちいさかった私は受け止められなくて、どうしてアイドルを見て悲しまなきゃいけないんだろう、どうして心の拠り所で我慢しなきゃいけないんだろうって思ってしまって、わざわざ義務でもない趣味という場所で苦しむのがバカみたいに思えてきて、無理してでも離れようとしていたこともあった。
それから、アイドルと自分の生活を同化させることが怖くなっていたのかもなあなんて思ったり。
アイドルは、確かに私の一部であったけど、現実の一部ではなかった。
今にも消えちゃいそうな5人をひたすらに応援して、届くことのない思いを静かに紡いで、お小遣い寄せ集めて数字出して、ってそんなことしているうちにアイドルに「応援される」って感覚をどこかに忘れてきてたのかもしれない。
だからこそ、今回のライブでこんなにも大きくなった5人に背中をぐっと押してもらえたことに、すごく驚かされたし、嬉しかった。
本当に時が経って大きくなったんだなあって、大きくなった子供の手を眺めながらしみじみ思うお母さんみたいな気持ちになった。お母さんになったことないけど。笑
偉そうな言い方になってしまうけど、小さくて、守ってあげなきゃ今にも潰れてしまいそうだった5人は、もうとっくに一人で誰かの背中を押せるくらい強くなってた。
今まで紡ぎ続けた私の想いに応えるみたいに、強くなった手のひらで、今度は私の背中を押してくれた。
アイドルって決して近くもないけれど、遠くもないんだと思った。
風磨くんがよく言う「辛い時は今日この日を思い出してね」って言葉も、
健人くんの「みなさんのSTAGEを明日からも輝かせてください」って言葉も、
今なら迷いなく、その意味に辿り着ける。
明日も頑張れる気がする
不思議な力で
笑顔輝く 空で Silver Moon 輝く
私が勝手に作ってしまった距離を埋めるように、そっと寄り添って、優しい眼差しで、私の明日を想い、願い、光を照らしてくれる彼らが、好きだ。
彼らはきっともう、ただの夢王子じゃない。
5人は声が枯れるまで何度だって私達にありがとうを届けようとする。
本当にありがとうを届けたいのはずっとずっと私の方だったのにね。
私もあと少し、彼らの光を浴びながら、私のSTAGEをがんばってみたいです。
5年先も、10年先も、何十年先も、私のことをよろしくお願いします。
いつだって、私の素敵なおつきさまでいてね。
18歳の終わりに。
1年前、まるで彼への誕生日プレゼントかのように5人は戻ってきた。
5人のリスタート1日目、11月18日のこと。
それから君はノンストップで18歳を駆け抜けていった。
念願だったバラエティー単独出演。
パンストを被ってヲタクの前に現れた君にいろんな意味で希望と不安を感じた、11月28日。
小さな頃からずっと見ていた憧れのステージで、アンダルシアを踊る君を見て幸せに溺れて息ができなくなった、12月31日。
マリちゃんとの世界一キュートでプリティなSweety Girlが世に放たれた2月24日。
初めてのソロを歌う君に涙を流した8月8日。
盛大に祝われながら迎えた11月16日。
5年前、君がSexy Zoneの松島聡になったことを約束された日。
そして今日、君は18歳を終える。
この1年、どの瞬間を切り取っても、幸せとたくさんの「おめでとう」が溢れていた。
私はこの1年を、聡ちゃんの決意が、努力が、悲しみが、やっと頂上へたどり着くためのエネルギーになれた年だと思っている。
今年の聡ちゃんは、今までの遠回りを取り戻すかのように頂上へ向かって猛スピードで突き進んでいた。
進む道を邪魔するものはもう何もなくて、全世界が彼の味方になったみたいに周りの景色はいつだって輝いていて、風向きは完全に聡ちゃんの方向を向いていた。
道の途中には、今までじゃ考えられないくらいたくさんのチャンスが落ちていて、彼はその一つ一つをちゃんと頂上への道しるべにしながら加速していった。
今年の夏、2年半ぶりに見た聡ちゃんは、最後に見た人と同じ人とは思えないほど強くて、綺麗だった。あの時小さな体でファンサをこなしていた彼は、無邪気な笑顔はそのままに、だけど一つの体でたった一瞬のパフォーマンスで会場全体を引き込んでいた。
彼の見ている頂上と、私が見ている頂上がはっきりと同じ場所に位置していて、ステージに立つ彼と会場みんなの確信と熱量がぴったりとリンクしたような感覚がした。
今までのことはもう口に出さなくても、もうみんなが未来だけを見つめていて、みんなで幸せになっていく瞬間があったかくて、綺麗で、もうこの勢い誰にも止めらんねえな、って確信した。
聡ちゃんの18歳が、今年で良かった、と心から思う。
制服を脱いで加速していく時に、そこにさらなる追い風を吹かせてくれる4人がいてくれて良かった。
迷った時には言葉と背中でそっと進む道を教えてくれるふまけんと、友達みたいで、だけどいつでも彼の憧れであり続けてくれる勝利くんと、どんな時も彼とまっすぐぶつかろうとしてくれて、聡ちゃんは聡ちゃんのままがいちばんだよ、と言ってくれるマリウスが、離れずに隣にいてくれて良かった。
きっとあのまま、彼1人の状況だったらこんなにも加速できていなかったと思うし、踏み出せなかった1歩だってたくさんあったと思う。
この1年、加速し続ける聡ちゃんを見てきて、彼にとってのいちばんのエネルギーはSexy Zoneという還る場所があることなんだと何度も思った。
迷ったときも、止まりそうになったときも、彼を動かし続けてくれるのは、「Sexy Zoneの松島聡」という自信なんだと思った。
「Sexy Zoneの松島聡」は1人だった時の何倍も強くて、輝いていて、あったかくて、私はやっぱりそんな聡ちゃんが好きだ。
しつこいけど、19歳も、その先も、ずっとずっと「Sexy Zoneの松島聡」であることが彼の最大の武器であってほしい。
18歳の聡ちゃん、数えきれないくらいの幸せをありがとう。
19歳の聡ちゃんが、頂上への“未知”をどんどん駆け抜けていけますように。
そして、明日からもたくさんのおめでとうを届けられますように。
So,Let's change the world!!!!
自担が人生観を変えてくれたお話。
眠れないので、深夜テンションで意味わからないお話をします。
私は昔から常に自分の行動に意義を求めてしまう性格だ。すべての選択の基準には未来の自分のためになるか、というものがあった。
(この時点でこいつは何を言ってるんだ、というタイプの人が特にヲタクには多いと思う。)
なんというか、将来、自分の今を後悔するようなことがあるのが許せない真面目完璧主義。
間違った意味のない選択は、したくない。
たぶん私は性格上、めちゃめちゃジャニヲタに不向きだ。
ジャニヲタであることは、自分の将来のためになるのか。
答えはおそらくというかほぼノーだろう。どちらかというと、自担の将来に貢献しているのだから。時間と金を存分に使い、自担の今を追い、幸せをもらう。そしてまた時間と金を消費する。
そして、自担の未来が保障されてる訳でもない。
高校生でもある私は、青春をジャニヲタとして過ごすことがどうしても引っかかっていた。周りの友達は、流行りのスノーで自撮りをかまし、週末にはショッピングへ行き、Twitterやインスタは青春で埋め尽くされている。
それに対し、私はテキトーに学校へ行き、終わったと思えばさっさと下駄箱へ向かい、帰っては自担を拝む日々である。そしてまた残念なことに私は高校生に多いキャピ系ゆるふわヲタクではない。お友達さん探し〜〜✳︎なんて可愛いことができない。学校ではなるべくヲタクを隠し、地味な格好でコンサートへ行き、ひたすら静かに自担を観察し、Twitterにぽちぽちとイタイ感想ポエムを流す。
00lineなんてbio欄には到底書けそうにない00lineである。なんとも中途半端で残念なヲタク。
自分はJKでありながら何をしているんだと思う。勉強に励んだり、何かをがんばったり、いっぱい遊んだり、高校生の間しかできない、高校生の間にやるべきことはいくらでもある。自担に貢ぐお金がなければもっと自分のために使える。
そんなん趣味とプライベートどっちも頑張ればいいじゃんって思うかもしれない。
でも、私にはそれができない。
どちらかを捨てないと、どうしても中途半端になってしまいそうで、自担のことが大好きなのに、昔っからの性格上、どうしても自分の在り方を許せなかった。
もやもやを抱えながらジャニヲタをだらだらと続ける日々が続いた。
だが、この夏コンサートへ行って今までの愚かな葛藤からやっと抜け出せた。
久しぶりの自担を見た時、ああ、ジャニヲタ辞めないでよかったって思った。
意味わからないくらい幸せだった。
自担に発狂し、涙する自分がすごい輝いていると我ながら思った。
早口で親に興奮を語る気持ち悪い自分、最高かよって思った。
今が楽しけりゃそれでいいじゃん。って生まれて初めて思えた。
ジャニヲタであることが、人生に大きな意義をもたらすかといえば、それはよく分からない。
ただ、この私のお堅い人生観を変えてくれたのは確かな事実である。
自担が大好きである以上、ジャニヲタである今が最高にハッピーである以上、ジャニヲタであり続けるということが自分にとって一番の選択であると今なら思える。
ヲタクであることは、立派な人生を彩る功績にはなれないが、「幸せに生きる」ためには人生においてとっておきの手段なのだと思う。
愛をぶつける対象が遠い存在だからこそ、ヲタクって幸せなのかもしれない。好きなだけ好きになることができて、好きなだけ感傷に浸ることができて、勝手に萌えて、勝手に幸せになれる。
「ヲタク」の値も、「好き」の値も、誰とも比べることなんてできない。
楽しいと思った今を全力で追い続けたい。私の大好きな人には、無限の夢が詰まっている。
自担は、「ヲタク」って響きが嫌いらしい。
だが、私は胸を張って君の「ヲタク」でいたい。
いつだって君のことだけを考えてぐへぐへしてしまう「ヲタク」でいたい。
自分でも言っていることが意味不明なのはよく分かっている。ただ、自担のおかげで今が最高にハッピーで最高に楽しい。
お堅い人生観を取っ払われた今、今まで以上にジャニヲタでいたいと思う。
そして、もっともっと幸せになってやろうと思う。
魂の叫び。
今までも、これからも、ごめんね。
以前ある雑誌で勝利くんがこんなことを言ってました。
「SexyZoneはみんながみんな、それぞれに大変なことがあったと思うけど、なかでも松島は、一番ガマンをしたり、悔しい思いをしたりすることが多かったんじゃないかな。
でもね、どんなときも笑顔を忘れなかったところが、オレは本当にスゴイなぁと思ってる。」
松島くんのファンとして、こういうふうに口にしてくれたことが素直に嬉しくて、今まで縛られていたものがすっと取れたような楽な気持ちになれた感じがしたんですよね。
自担への贔屓目もあるけれど、あの期間に一番後ろ向きにならざるを得ないくらいひどい状況にあったのってやっぱり聡くんだって思うことが何回もあって。
ああいう形でマリちゃんと聡くんが外されていたけど、マリには聡くんがあんなにも望んでいるドラマ出演も、映画出演の実績も、一人でバラエティーに出た経験もあるのに、
聡くんはどんなに望んだってドラマに出ることもバラエティーに出ることも、個人の能力がどうこうとかそんなん以前に、チャンスすら与えられない。
僻みみたいで醜いけど自分の応援している人だからこそ、どうしても、余計に気にしてしまう。
それでも3人だっていろんな事に耐えながら、2人が戻ってこれる場所を守ってくれていて、マリちゃんも必死に頑張っていて、5人が5人それぞれに辛い思いをしているのに、聡くんが一番苦しんでて、可哀想だなんて口が裂けても言えなかった。
なにより、そんなこといわせないくらいに彼自身も前を向いていて。
めちゃめちゃ悔しかったのに、それをただ心の中で押さえ込むしかなかった。
だれも悪くないから、だれにもなにもいえない。
もう全部流して前を見るしかないのかなと思ってもやっぱり悔しくて、
聡くんは前を向いているのに、私は今までの溜まったものを許せないまま、割り切って同じ方向を向く事ができなかった。
いざ5人に戻っても、その悔しさともどかしさを抱えながら祝福して。
あんなに望んでいた5人の姿なのにどっか引っかかったまま。
そんな私が一番求め続けてたのが、どんなに前向きなきれいな言葉よりも、あの勝利くんの一言だったんだと思います。
聡くんは絶対にファンの前では前向きな事しか言わない頑張り屋さんだから、頑張ってるから大丈夫、もっと頑張るからねって言葉でファンの不安に応えようとしてくれる。
だから、ときにもっと心配になってしまったりする。
だからこそ、勝利くんのあの言葉が私の気持ちを代弁してくれたみたいで、ようやく自分の中で一区切りつけられたんだと思います。
だけどそれって裏を返せば、ただのオタクのしがない僻みを、気づかないうちに全部彼に背負わせてしまって、責任を感じさせてしまって、ごめんねって言わせてしまっていたことでもあるんだなあって気づいたらすごく苦しくなって。
「笑顔を見せることより 泣くことを止めよう」
Last winter's night のこの言葉がすごく胸に刺さりました。
勝利くんは、5人に戻ってから、まわりがどんなに明るく前を向いていても、一旦振り返って、過去のことをいつも胸に抱えながら前に進もうとしていて、だからこそ、この再出発のアルバムにもこういう形のソロをいれていて。
一ミリも彼に責任なんてないのに、なんどもなんどもごめんねって謝ってくる。
むりやり笑顔を作るんじゃなくて、
納得のいくまで隣に寄り添って、
ごめんねって言葉で涙を止めようとしてくれる。
本当はすごく繊細で、傷つきやすいのに
その優しさ故に、一つ残らず全部を背負おうとしてくれてしまう。
そんなことみんなで分け合えばいいのに、まだふまけんに守ってもらうことがあってもいいのに、
勝利くんは目を背けたくなるくらい自分で自分を傷つけながら、自分で向き合おうとしてしまう強さがあって。
なんて残酷なんだろうって思うけど、そんな勝利くんがいなかったら私今5人と同じ方向をむいて応援できていなかったと思うわけで。
辛い思いをさせてしまうけど、やっぱり勝利くんはどこにいても優しくて繊細で強すぎちゃう勝利くんでいてほしい。
そんな勝利くんがSexyZoneにいてくれることで、助けられることがこれからもたくさんあると思うから。
今までも、これからも、たくさん傷つけさせてしまってごめんね。
でも、勝利くんがいれば、
もう冬の心配なんてしないで笑顔で春を楽しみにできそうです。
あなたがSexyZoneの真ん中にいてくれることが、すごく心強いです。ありがとう。
だからもう、ごめんねなんて言わないで。